社会整理士育成協会の代表を
務めております鈴木健司でございます。
本日は、自分史の第2弾。
今回も包み隠さず、お伝えしようと思います。
子どもの頃からとても体が弱く、
イベントがある度に、
高熱を出して休む本番に弱い子でした。
そんな私を改善させようと、
父が考えたのが、
何かスポーツをさせることでした。
「この言葉を転機に、私はある道に進むことになった」
というところまでお伝えしました。
さて、そのスポーツとは何かというと・・・
野球です。スポーツ少年団に加入し、
毎週、水曜日と土曜日。試合は日曜日。
という感じの1週間が始まったわけです。
なぜ、野球だったのかというと、
友達が野球部に入部したからです。
もし、友達がサッカー好きだったら
サッカーだったと思います。
それくらい、決めても何もなく適当でした。
でもアイキャッチ画像は野球帽ですよね。
ところで皆さんこの球団はお分かりでしょうか?
大阪近鉄バッファローズ(2004年に解散)です。
多分、ちょっと派手好きだったから
この帽子を選んだのだと思います。
この野球帽が、のちに鳥肌ものになります。
話がズレましたので、続けます。
▣ さて、私は野球部に入部しました。
野球道に導いた父が、
私の人生において、
1番目にスイッチを押した人物です。
ここから、私鈴木健司の本質が出てきます。
なんと!野球を始めて恐いモノが2つ出来たのです。
それは、ボールとコーチです。
とにかく下手くそで、
守備の練習ノックの時間は、もう地獄でした。
ボールを取るのが恐く、コーチには怒られ、
もう嫌で嫌で・・・。
とうとう練習を行かなくなってしまいました。
毎回、母には「しんどい」と言ってズル休みです。
私の父は、昔風の恐いイメージでしたので、
母親がいつも、父親に怒られる前に、
私を気にかけてくれていました。
当初の私は、有り難いことに塾まで
両親に通わせて頂いていたのですが、
「行ってきまーす」
と出て行き、友達と田んぼで、
アカハラとかを取って遊んでいました。
それも、塾の先生から電話があり、
ズル休みしているのがバレました。
すると、とうとう母親が怒りました!
「お父さんに言うから!」
それが恐くて、
泣く泣く野球の練習に行きました。
野球の練習に行かなくなって、
どれくらいの日々だったのかは分かりません。
久々に見る友達や恐い鬼コーチの目が気になります。
そしたら、まさかその日が
私の人生を変える日になるとは・・・。
(3)へつづく